7 木屋町通を歩く
- Hase Mac
- 2023年6月3日
- 読了時間: 6分
更新日:2023年6月24日
四条河原町で降り、100mも東に歩けば、高瀬川にぶつかる。
伏見に、海上輸送で集められた物資は、この高瀬川を用いて京都へと送られた。当然、人の往来も激しかったであろう。
高瀬川沿い、木屋町通を北に歩いて行くと、その周辺には、幕末の歴史に名を連ねる、佐久間象山、桂小五郎、大村益次郎の寓居跡、近江屋事件、池田屋事件の跡碑などが、連なっている。
御池通を越えると、物資の荷下ろし、船の回転などを行う、一之船入があり、船底の浅いことが特徴の高瀬舟が再現され、展示してある。

このすぐ北側に、島津製作所創業記念資料館(右写真)がある。
さらに北へ、約200m程歩くと、銅駝美術工芸高校がある。ここには、京都舎密局が設置されていたことを示す駒札が立っている。
舎密局は、明治3年(1870)、理化学・工業技術の
普及を目的に設立された教育施設で、オランダ語の
「シェミストリ(化学)」の当て字である。陶磁器、織物、染色、ビール、ガラス、石鹸などの工業化学の
研究、普及が行われ、多くの技術者を養成・輩出している。
因みに、舎密局は大阪にもあり、京都の第三高等学校(後の、京都大学)のルーツとなる。(なぜ、京都の舎密局ではなかったのか?)
京都の舎密局で学んだ技術者の一人が、島津製作所の創業者、島津源蔵である。
源蔵は1839年仏具職人の子供として生まれ、1860年に仏具製造(鋳物)の店を開く。
しかし明治新政府になり、神仏分離政策が進み、廃仏毀釈の流れが加速していくと、仏具の将来に危機感を持ち、舎密局で得た知識をもとに1875年教育用理化学機器の製造を始め、島津製作所として創業した。これが後の田中氏のノーベル賞受賞に繋がっていく。
京都で起業した会社としては、京セラも有名である。
創業者の稲盛氏は、京都の碍子メーカー、松風工業に1955年就職するも、59年に退職、独立して京都セラミック(株)を設立した。
日本中の送電網がほぼ整備されつつあり、先細りの碍子を作っていても、将来は開けない。電力インフラが整備されるということは、次は家電の時代が来てもおかしくないと判断したのであろうか。
当時の松下電器に、U字ケルシマ(ブラウン管の電子銃の電極を支持する絶縁部品)を納めることになり、これをきっかけに、ファインセラミックス、半導体関連の分野へ進出していった。
稲盛氏が入社した、松風工業は清水焼がルーツで、松風工業自身も現在は、歯科用セラミックスの分野で業界トップクラスの地位を占めている。
時流を読む、現状維持のバイアスからの脱却
世界で活躍する企業が、何故京都から多く誕生するのか、京都の特徴と関連付け、種々指摘されるが、要約すると次のようになる。
① 仏教の利他の精神
② 京都は、時の権力者が頻繁に変わる。時流を読むことが生き残るための知恵
③ 首都であったことから、多様な人が集まる場。変革は情報の接点から生まれる。
これらの中でも、島津源蔵の「廃仏毀釈・・仏具から理化学機器へ」、稲盛和夫「電力インフラから家電へ・・碍子からファインセラミックス」、一番強く影響しているのは②ではなかろうか。
時流を読むということは、現在の延長上に将来が必ずしもない。今、目の前にいる顧客は、将来の顧客では必ずしもない。そのような考えが根底にあるはずである。
クリステンセンの「イノベーションのジレンマ」*1が、「偉大な企業は、(既存)顧客重視という、正しい経営を行うが故に、破壊的イノベーションでは後塵を拝す」という指摘は、同じことを意味していると言える。
時流を見るには、現状を無批判に肯定していては望めない。しかし、人は、現状維持というバイアスが強く働く。何かを変えようとすると、「変える理由」は求められるが「変えなくて良いという理由」は普通、求められない。ヒマラヤ登山に行こうと誘われた時、「行くことを前提にして考えることで、正しい判断に近づく」のであって「行かないことを前提にすれば何も考えないのと同じ」である。
「時流を見る」力を養うには、現状維持のバイアスを取り払う思考回路を滋養することが必要であろう。既存顧客に適した組織でプロモートされた人は、他社との競争で勝つ術は長けているであろうが、将来の事業の変革を探る術にも長けているかはわからない。むしろ自らが成功した土俵を変えたくない、というバイアスが働く可能性もある。変革は情報の接点から生まれることも考えると、既存顧客を意識した組織構造の是非、意思決定過程における議論の仕方、そして経営層自らが限定合理性の存在であることの認識・・・こんなことを意識せねば、現状バイアスは拭い切れないのではないかと考えてしまう。
そういえば任天堂も京都が本社である。花札・トランプ製造がルーツの会社ではあるが、今は、コンピュータゲームが主流になっている。「家庭内で楽しむ」という同じコンセプトの下、コンピュータ化への変化を先取りした商品へと変革してきた会社である。
奇術をするには、カードがもう少し滑らかに扱えるようにならないかというマジシャンのニーズから、カードのプラスチック化を業界で初めて行った。両利きの経営では「進化」にあたる。
一方、ファミコンという、市場を新たに作り上げた、これは「探索」から生まれた事業であり、「両利きの経営」を約半世紀前から実践してきている。(成功事例を「両利き・・」と名付けたとも言える)
「両利きの経営」*2では、「探索」とは、「自分の認知の範囲を超えて、遠くに認知を広げていこうとする行為」と記されている。この指摘は、経営者が限定合理性であることを認識し、現状維持のバイアスから脱却することと同義で、「時流を見る」ための本質であると言える。
京都の企業の変貌、その軌跡を辿るだけで、難解な経営書と同じ知見が得られるのではないかと考えてしまう。少なくとも、経営書の言わんとするところを、実例として理解するのには、大いに役立つ。
尊王攘夷と日本海海戦
木屋町通を歩いていると、幕末の英傑にまつわる石碑に多く遭遇することは既に述べた。
尊王攘夷を目指した活動も、時を経るとともに不平等条約破棄「破約攘夷」に変わっていったが、この破棄(新たな協約の締結)は、日露戦争の勝利により、達成されたと言える。
日本海海戦でのバルティック艦隊への勝利は、戦艦、駆逐艦に島津製作所の蓄電池を搭載し、これを活用した無線により、情報戦で優位に立ったことが勝因とされている。
攘夷の旗のもとで刀を振り回した場所と、破約攘夷に貢献した島津製作所の創業地が、隣り合わせであるのも歴史の妙である。
*1;「イノベーションのジレンマ」 クレイトン・M・クリステンセン 著 玉田 俊平太 監修
伊豆原弓 訳 発行所(株)翔泳社
*2;「両利きの経営」 チャールズ・A・オライリー、マイケル・L・タッシュマン 著
入山章栄 監訳 渡部典子訳 発行所 東洋経済新聞社
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